二〇一八年長月廿七日
義經神社ご祭神◆源義經
皆さん、こんにちは!
義經神社の御祭神は、もちろん源義經公であります
これまでに義經公の事を書いてきたので、御祭神として改めて紹介した方がよいのか?と少し考えてしまいましたが、、、笑
源經経の名前は知っているけど人物についてはよく知らないという方もいるかもと思いまして、今更ですがご祭神の源義經公についてざっくりと(笑)ご紹介させていただこうと思います!
義經神社の記事はこちらです
たくさん兄弟がいますが、兄には源頼朝(みなもとのよりとも)がおり、歴史の時間では1192(いい国)作ろう鎌倉幕府が必ず紹介されます
兄、頼朝が挙兵(兵を集めて戦いを起こす事)すると、義經も急いで駆け付け、父の仇討ちの為力を発揮するのです
源經経の名前は知っているけど人物についてはよく知らないという方もいるかもと思いまして、今更ですがご祭神の源義經公についてざっくりと(笑)ご紹介させていただこうと思います!
義經神社の記事はこちらです
義経公北行伝説!前編はこちらから
義経公北行伝説!後編はこちらから
義經資料館についての記事はこちらから
義經公は、源義朝(みなもとのよしとも)と常盤御前(ときわごぜん)の間に生まれており、牛若丸(うしわかまる)と名付けられています。
牛若丸と弁慶のお話は有名ですね
義経公北行伝説!後編はこちらから
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義經公は、源義朝(みなもとのよしとも)と常盤御前(ときわごぜん)の間に生まれており、牛若丸(うしわかまる)と名付けられています。
牛若丸と弁慶のお話は有名ですね
たくさん兄弟がいますが、兄には源頼朝(みなもとのよりとも)がおり、歴史の時間では1192(いい国)作ろう鎌倉幕府が必ず紹介されます
兄、頼朝が挙兵(兵を集めて戦いを起こす事)すると、義經も急いで駆け付け、父の仇討ちの為力を発揮するのです
源氏と平家の間で起きた数々の戦い、源平合戦では、源氏が一時衰退するも義經の活躍で勢力をのばしついに壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼします。
義經公は、戦略、戦術において飛び抜けた能力を持っていて数々の戦いでその力を発揮していたようですが、度重なる行き違いから奥州平泉で襲われ自害してしまうのです。
実はもっと前から鎌倉幕府はあった!という事が発見され、今の教科書では1192(いい国)ではなく、1185(いい箱)で教えられてるんだとか
amourrose815 at 17:53│Comments(0)│神社
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